終戦の日

72回目の終戦の日

平和について、改めて考えなくてはならない日。

本来は、小学生の時から、家庭でも学校でも、事実を正しく教え、学習させなければいけない。

大人も一緒に学習しなければいけない。

そして、今までの平和の有り難みを感じ、愚かな戦争を繰り返さない事を、全ての人が誓い、実践していかなければいけないはず。

しかし、日本は、戦争が終わり、世界に誇れる平和憲法を持ったにも関わらず、政府は、戦争を学習していない。

国民にも、学習をさせない。

本当の事を隠そうとしている。

これでは、いつまで経っても、あの戦争の犠牲者は、浮かばれない。

どれだけの尊い命が奪われ、奪う事を強いられ、家族を失ない、友人を失ない、数多の才能を持った人達を失った事か。

国民のささやかな幸せを壊し、あれだけの犠牲者を出しながら、まだ戦争がしたいのか?

戦争になって喜ぶのは武器商人だけ。

国が憲法違反をして許されるのか?

武器を持ちながらの平和など、決してありえない。

武器を持てば、何処よりも強くなりたいと欲を出す者が出てくる。

現実に、今、危険な状態にある。

自分が武器を持ちながら、相手には武器を持ってはいけないなどと、どの口が言えるのか?

武器を持てば、話し合いでの解決をしなくなる。

そして、果てしない不幸が始まる。

私達は、どんなに時間が無くても、少しでも時間をつくり、改めて戦争の愚かさを学ばなければならない。

これからの子ども達の未来の為にも、二度と戦争をさせない国にしなければいけない。

亡くなった祖母は二度と戦争は嫌。大切な人を亡くしたくないと言っていた。

祖母は甥を戦争で失った。

出征の前に挨拶に来たらしい。

祖母は何があっても生きて帰って来てと心の中で祈ったらしい。

言葉にすれば非国民にされてしまうから。

その人は戦死した。報せは紙一枚。

遺品も遺骨も何もない。

亡くなったと報せが入った数日前に、その人が祖母の前に現れた。おばさん、ただいまと。

祖母は喜んで、その人に好きな食べ物を作って出すから待っててねと言って、台所に行きかけて振り向いたら、誰も居なかった。

それから数日後の戦死の報せ。

奇しくも、祖母の前に現れた日時は、その人が戦死をした時。

祖母はきっと、最後に私に会いに来てくれたのよと言っていた。

人が人を思う気持ちは、万国共通。

死にゆく時に、気持ちが強ければ強いほど、最後に会いたい人に会えると、私は思う。

でも、戦争の中での体験は誰もしたくないと思う。

今も起こっている紛争。

人には言葉という対話の手段があるのに、何故、それをしようとしないのか?

戦争は殺し合い。人殺し。

憎しみの応戦。死の連鎖。

一人殺して罪に問われるのに、何故、戦争を引き起こした国の責任者は罪に問われずにいるのか?

先の戦争でも、戦犯として裁かれた中に、本来裁かれるべき人が含まれていなかったと思う。

私の命が今あるのは、祖母達が四ツ谷から東京大空襲の前に、疎開してくれたから。

あと一日。あと一日遅かったら母は死に、私達は産まれてこなかった。

その話を知った時、どれだけ祖母達に感謝をした事か。

その命を粗末に扱った事があった。

障害が判って、先がみえなくなった時。

でも、祖母達のおかげで頂いた命。

粗末には出来ないと、今は思う。

戦争体験者が減る中、私達が子ども達と一緒に学習して、二度と戦争をさせないようにしなければいけない。

知らされない事、隠されている事が沢山ある。

少しずつ学習して、語り継がなければ。

戦争が嫌な人は、声をあげましょう。

とても勇気が必要だけれど、声をあげなければ、再び繰り返されてしまう。

私はパニック症候群で、人が多い外に出るのが不安で出られません。

人中に居るとパニックの発作が出るからです。

電車やバスも怖くて乗れません。

いつ出るか判らない発作で、周りの人に迷惑はかけられません。

様な所で学習会がありますが行かれません。

せめて、本を購入して読んだり、池上彰さんの番組を観て、勉強するようにしています。

先日も、特攻隊を取り上げた番組がありました。

涙が出て止まりませんでした。

戦争は始めるのは簡単。でも終わらせるのは難しい。

このブログを読んでくださった方に、お願いします。

知ろうとしない事、無関心でいる事は罪だそうです。

少しずつでも、戦争の愚かさを学び、武器を放棄させるように、どんな形でもいいので、行動しませんか。

私は、ブログで発信していきたいと思います。

今の私に出来る精一杯の事です。

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